私の行動記録


2010年9月以前の行動記録  2009年の行動記録  2008年以前の行動記録

12月20日(月)

日本技術士会の役員選挙委員会の会議が、葺手第二ビルの5階にある日本技術士会の会議室であった。その夜はピーシー橋梁の副社長をされている示野さんと久し振りに会って、新橋のS-plaz弥生にある居酒屋「土佐ジロー」で食事をする。この店は、高知県出身の松村厚久氏(43歳)が社長する「(株)ダイヤモンドダイニング」が経営する100店舗の中の1つ。
示野さんとは24年間のお付き合い。プロパーでは最高の地位である副社長まで上り詰めただけあって、話される言葉には重みがある。
12月15日(水)、16日(木)

岐阜大学から原先生と大竹先生のお二人に高知へ来ていただき、技術士受検対策と技術提案書の書き方について講演をしていただく。
原先生は29歳で、大竹先生は27歳の若さで技術士に合格されている。特効薬のような合格の秘訣を期待したのであるが、過去の問題に回答する訓練や社内の先輩による添削指導など当たり前の勉強を時間を割いて確実にやっておられたということであった。
15日の夜には高知の料理を食べていただき、16日には桂浜に案内させていただく。坂本龍馬記念館では森健志郎館長にお会いし、お話しを伺うことができた。
12月14日(火)

高知会館で高知県橋梁会の研修会。
会計検査院を今年の3月に定年退官された望月雄二氏に「会計検査と公共工事−私の体験から−」と題して講演をしていただく。
会計検査では、マニュアルに基づいた画一的に設計を求めている訳ではない。理由を説明できれば新しい技術を否定するものではないという話であった。
現役時代に「スーパー調査官」を目指して土木技術を勉強されて「構造の望月」と呼ばれていただけあって、橋梁下部構造などの構造には滅法強い。
講演の中で、聴講者に向けて配筋や基礎杭などに関する質問を投げかけられたが、これに答えられる聴講者はいなかった。最近の構造設計はパソコンに頼り切っている。コンサルタントの中に構造が分かる技術者が居なくなっているような気がした。もしそうだとしたら大きな問題である。
12月12日(日)

安芸市で「第36回安芸タートルマラソン全国大会」があり、10kmの部に家内と一緒に出場した。初参加であったので、「志」の文字が入った内原野焼きの夫婦湯飲みを記念品として戴いた。
今年の参加者は950名。最高齢者は岡山県の97歳の男性。老齢年金を受給できる年齢に達し、老人の部類に入り気が滅入っていたのであるが、このような人達に接すると、まだまだ若造じゃないかという気にさせてもらえる。
私のタイムは1時間10分33秒。10km男子の部で383人が走っている。その中に60歳代は117人いる。私の順位は、男子の部では333位、60歳代の中では106位であった。
大会の案内には、「亀(タートル)のようにマイペースで完走することを目的としている」と紹介されていた。高齢者が亀のようにノロノロ走るマラソンをイメージしていたが、全くの勘違いであった。
昨年の「坊ちゃん一緒にらんランRUN」のタイムは、1時間15分4秒であったので、少しではあるが進歩している。何もしなければ歳と共に体力が衰える。亀のようであったとしても、まだまだ進歩することを信じて、練習を継続しなければと思った。
詳細はこちら
11月27日(土)

高知工業高校で四国高等学校土木研究会が主催する第4回高校生橋梁模型コンテストがあった。高知県橋梁会は3年前から共催しているので、審査委員長として出席した。高知県橋梁会からは、西川準二理事、岡林弘憲理事も審査員として出席した。
強度、軽量性、デザイン、構造で競い合い、優勝、準優勝、3位を高知工業高校が独占した。他校に比べて山岡先生の熱心な指導が成果として現れたのは明らか。
毎年レベルが向上しているが、今年のできは一段と優れていた。これまではコンテストの当日、時間制限がある中で製作していたが、今年から前もって製作した作品を持参し審査するルールに変更したことから完成度が高かったように思う。
模型を製作した生徒達に質問したところ、何度も試作する中で、荷重をかけると模型がどのように変形し、どこが弱点になるのか、破壊する前触れとしてどのような現象が起きるのかを経験的に会得しているようであり、将来立派な土木技術者になられるだろうと頼もしく感じた。 ⇒詳細はこちら
11月24日(水)

高知会館で高知県技術士会の秋の定例会があり、高知県立坂本龍馬記念会館の館長をされている森健志郎氏に「明治維新と高知」というタイトルで特別講演をしていただいた。
森健志郎氏は高知県技術士会の森直樹幹事の実兄。森健志郎さんには、高知県技術士会設立20周年記念の特別講演もお願いしている。
坂本龍馬が高杉晋作からもらって愛用していた米国スミス・アンド・ウェッソン社製のピストル、乙女姉さんに宛てた20通の手紙の話を中心に、龍馬が一目で心酔した勝海舟、龍馬の大ファンで龍馬記念会館を夫婦で訪問され10万円を置いていった台湾の李登輝元総督、NHKの大河ドラマ「龍馬伝」が始まると正座して目に涙を浮かべながら見られるというソフトバンクの孫正義社長、などの話をされた。
講演終了後に村山保顧問が、「いままで何度か坂本龍馬の話を聞いたがこれほど感動したことはなかった」と評されたが、誰もが話の中に引き込まれて1時間があっと言う間に過ぎたと言っておられた。
詳細はこちら
11月16日(火)〜23日(火)

還暦を迎えた記念にヨーロッパ旅行をしたいと考えていた。仕事に追われる日々を過しているが、阪急交通社が企画していた「RKCハッピーツァー田村ワローさんと行く“美しき情熱の国スペイン世界遺産紀行8日間”」というツアーの日程にたまたまあったので、家内と一緒に参加することにした。
バルセロナ、タナゴナ、バレンシア、ラ・マンチェ、グラナダ、ミハス、ロンダ、セビリア、コルドバ、マドリッド、トレドとスペイン旅行の定番になっている観光名所を時計回りに巡る旅である。

写真はラ・マンチェのカンポ・デ・クリプターナの丘にある風車。ドン・キホーテが風車群を巨人プリアレオと間違えて愛馬ロシナンテにまたがって突進したとされている場所。

旅行記はこちら  
11月6日(土)、7日(日)

私たち夫婦は、「遊びに来ませんか」と誘われると、原則としてお言葉に甘えることにしている。以前から親しくお付き合いしていただいている砥部町の安見氏より「泊まりに来ませんか」とお声を掛けていただいたので、2日の夕方に家内と一緒にお邪魔した。
以前の家を取り壊して新築されていたのにはびっくり。風呂、トイレ、台所も最新式とあって使い勝手がとてもよい。ミサワホームということであった。二十数年前に建てたわが家とは大違いである。
居間には薪ストーブが据えられ、煙突が屋根を貫いて空高くそびえていた。薪の炎は心を癒す不思議な力があるので大好きである。問題は手間と維持費が滅法かかること。薪に火が付き暖かくなるのに約1時間を要する。火を付ける際に灰が部屋に飛び散る。灰の始末をときどきする必要があり、煙突のすす掃除もしなければならない。薪を買うと結構高く付く。これらに耐える必要がある。
その夜は、奥様の真心がこもった手料理に舌鼓を打ちながら歓談する。気がついたら0時を過ぎていた。
翌日は東温アルプスの皿ヶ嶺に安見夫妻と一緒に登山する予定であったが生憎の雨のため、断念。3年前から始めたという安見農園を見せていただく。害虫と格闘しながら手間暇掛けて育てた無農薬栽培の大根やサツマイモを頂く。その後、近くで開催されていた秋の砥部焼祭りを見物する。
10月31日(日)

弘化台の中央卸市場で「高知市中央卸売市場開設80周年記念市場まつり」があったので自宅から徒歩で出かける。
途中の高須の田圃はコスモスが満開。鑑賞、カメラ撮影するために70〜80名の家族連れが訪れていた。絶海(たるみ)池に来ると、水面から飛び出した岩の上で沢山のクサガメが首を長く突き出して甲羅干しをしていた。
約1時間で市場に到着する。市場内は祭り客で一杯。にぎり寿司と鯛汁を買って食べようにも座る席が見つからない。仕方なく、前方の舞台の見物席に座って食べる。
新鮮で美味しい魚や野菜、果物がスーパーマーケットの1/3から1/2の値段で売られていた。大熊のマグロの冷凍ブロック、鮭の切り身、白菜などをリュックサックに入るだけ買う。
北浜商店の鰻の蒲焼きも人気で、焼くのが間に合わないほど。1匹千円で買って食べたが、焼きだちとあってとても美味しかった。
写真
10月23日(土)

 今日は天気が良いようなので剣山に登ることにした。安見さんからは国道32号の大歩危の祖谷口から入るのがよいと聞いていたが、豊永から国道439号に入って京柱峠を通るルートで行く。高知から行くのには最短距離と思えたが、道幅が狭くてクネクネなので30分くらい余計に時間がかかってしまった。
 途中、奥祖谷で二重吊橋(男橋、女橋)、野猿を観光する。ここは初めてであったが、有名な西祖谷のかずら橋よりも数段素晴らしいと思った。入場券を販売する係の人の話では、紅葉の見頃は1週間後ということであった。 奥祖谷から剣山にかけての周辺の紅葉は見頃で、ピンクや真っ赤に色づいた山の美しさには感動させられた。見ノ越のリフト乗り場に着くと、駐車場は満車。道路の脇にもギッシリと駐車されていたが、民宿「まつうら」で食事をするという条件で駐車をさせてもらった。
詳細
10月18日(月)

 下関からの帰り、福山東ICで降りて鞆(とも)の浦、仙酔島(せんすいじま)を観光する。
 鞆の浦には、「いろは丸」事件で坂本龍馬が損害賠償を巡って「明光丸」の船長・高柳楠之助と談判したと言われている「福禅寺」の客殿「対潮楼」がある。
 1711年に朝鮮から通信使で来た李邦彦が、「対潮楼」から眺めた鞆の浦の景色が朝鮮より東の世界で一番風光明媚と賞賛し、「日東第一形勝」と書き残している。
 鞆の浦のシンボル「常夜灯」のすぐ近くには、「いろは丸展示館」がある。鞆の浦沖で沈んだ「いろは丸」の引き揚げ物などの関連資料を沈没状況のジオラマとともに展示、紹介している。2Fには坂本龍馬の隠れ部屋が再現されている。
 「仙人も酔ってしまうほど美しい島」仙酔島は、火山の噴火による溶結凝灰岩で出来た外周約5キロほどの小さな島。無人島であるが、島内にはホテルや国民宿舎・キャンプ施設がある。市営渡船「平成いろは丸」が20分間隔で運行しており、5分で行くことが出来る。遊歩道が整備されているので、のんびりと散策を楽しむにはとてもよい。⇒詳細
10月17日(日)

 10月16日〜18日の3日間、「海峡メッセ下関」で第40回日韓技術士会議があった。メインは17日。9時から式典、本会議、分科会が行われ、18時30分から日韓親善晩餐会があった。参加した技術士は韓国98名、日本226名の322名。事務局や家族を加えると、韓国150名,日本250名の400名で過去最高であった。
 日韓親善晩餐会は同伴者も一緒になって開催され、約350名の参加があった。座席は、日韓の技術士が混ざって座るように決められていた。日本人が最初に着席し、韓国人を拍手で迎えるという趣向であった。韓国人の女性は民族衣装のチマチョゴリで入場してきた。 
 晩餐会が始まって1時間ほど経ってから、韓国女性陣が舞台に上がり、アリランなどの朝鮮民謡が披露された。この会場に入って少し練習をしただけということであったが、よくまとまって素晴らしい合唱であった。続いて、着物姿の日本人女性も舞台に上がり、「もみじ」「ふるさと」「おぼろ月夜」の三曲が披露された。
詳細
10月16日(土)

明日の日韓技術士会議に出席するついでに、下関吉田の東行庵(とうぎょうあん)に立ち寄る。
NHK大河ドラマ「龍馬伝」を見て、雷電風雨の如き27歳8ヶ月の生涯を閉じた高杉晋作(号東行)の遺骸が「東行庵」に葬られているということを知った。奇兵隊の陣屋跡は、ここから約2km北の方にある。
東行庵の境内には、晋作の墓の他に百年祭を記念して建設された「東行記念館」、高杉晋作像、「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し・・・・」という名文が刻まれた顕彰碑、晋作が亡き同志を偲んで詠んだ歌「おくれてもおくれても 又君たちに誓ひしことを あに忘れめや」が刻まれた歌碑、高杉晋作を物心両面で支えた白石正一郎の墓、奇兵隊の墓、聖観音菩薩像、高杉晋作を敬愛していた小泉純一郎内閣総理大臣が平成18年8月4日に歩いたという「小泉ロード」などがある。
詳細
  
10月10日(日)

高知で私が好きな場所に「ひろめ市場」がある。昼飯を食べようと13時頃に立ち寄ると、人出で一杯であった。連休のせいでもあるだろう。明神丸には、いつものように行列ができていた。鰹のタタキの実演をやっており、焼きたてを食べらせてくれるのが人気を呼んでいるのであろう。
どうにか一人座れる椅子が見つかったので、席の前の「うどん茶屋悠楽」で、生ビールと「生かつお丼」を注文する。高知にいれば、鰹は週に1回以上食べるが、スーパーマーケットで売っている冷凍物とは味が全然違う。
隣の席の男性は、香川県の詫間から日帰りで遊びに来ているということであった。そのグループが食べ終わって席を立つと、直ぐに若い二人連れの女性が座った。この女性は高松からということであった。
ひろめ市場では、相席は当たり前である。初対面の赤の他人と気軽に話し合えるという不思議な空気が漂っている。
10月2日(土)

第一コンサルタンツの社員の山本崇顕君と荒木絵美子さんの結婚披露宴が17時よりドリーマー・ベイシャトーであった。
披露宴を見れば、新郎と新婦がどのような家庭で育ち、どのような友達と付き合ってきたかがよく分かる。二人とも家族に愛され、友人達に愛され慕われて育ってきたことがよく分かった。
最後の御礼の挨拶では、何度か上を向いて絶句する場面があった。亡き父親を想い出し感極まったのである。父親や母親に対するこれまでの感謝の気持ちが痛いほど伝わってきた。久し振りに感動させられた。すばらし結婚披露宴であった。
この二人なら、どんなに高い山でも登り、どんなに深い谷でも渡って幸せな家庭を築くに違いないと確信した。

写真
10月1日(金)

10月1日と2日、2日間にわたり地盤工学会四国支部の技術研究発表会が徳島県三好市池田町の「大歩危祖谷阿波温泉 あわの抄」であり、1日目には33編の一般発表と、愛媛大学の岡村未対教授による「チリ地震調査特別報告」があった。
18時30分から交流会。研究発表会のみに参加参加された方もあったが、約60名が「あわの抄」に泊まり込んで深夜まで親睦を深めた。
このようなスタイルは、愛媛大学副学長の矢田部先生の発案によるもので3年前から実施されている。平成20年度は今治市大島の「海宿千年松」、平成21年度は中土佐町の「鰹乃國の湯宿黒潮本陣」であった。来年は香川県が担当になる。交流会の締めの挨拶で、香川大学の長谷川先生から五色台(休暇村讃岐五色台)で開催する予定であるという発表があった。

←徳島大学の渦岡教授による乾杯の音頭で交流会を始める。

2010年9月以前の行動記録

2009年の行動記録

2008年以前の行動記録